同級生
同窓会があると、父の同級生が教えてくれた。
生きる目的や刺激を友達からもらえるのじゃないだろうかと、同窓会に私はあれこれ期待をしていた。
父のわがままに付き合って、今でも変わらず友達でいてくれる同級生らに、お礼を言える良い機会だとも思った。
家族以外の人に会うという明確な目標があれば、本人も行くための方法を考えたり、具体的にイメージしてできないことを考えたりできるのではないか?
頑張れるのではないかと、勝手な理想を押し付けていた。
けれども、本人は「同窓会に行きたい」と言いながら、行くための努力はしたくない、「同窓会に行きたい」けれど、行くために苦痛を感じたくない、感じないための方法を考えたくもないと主張する。
友達には、「決める権利を与えられてない」という。
行くために頑張ろう、行く為に考えようと声をかける度に「行けないならそれでいい」と返事をされる。
行きたくないのだろうと思って様子を見ていると、同窓会に行くことが気になって、怪我をする、他人にあたる。
行く方法を一緒に考えるのがいいのか、行きたくないのか決めるように促せば「行けなくてもいいから、代わりに近々で外食に連れて行って」という。
誰と外食に行きたいのかを聞けば、食事ができれば誰とでもいいという。
そんな様子を見て、父は、同窓会は行きたくないんだと、やっと私は気づいた。
私が理想を押し付けていたんだと気づいた。
友達に会いたいわけでも、感謝を伝えたいわけでもなかったんだ。
理想を押し付けて、混乱させてしまっていた。
自分の身勝手さに苦しくなった。