父との日々

父の介護をしています。

意識から行動へ。

父と過ごせる時間をもっと持ちたいです。


関われる時間を共に過ごせる時間を増やしたいのです。


もっと、時間を共有したいのです。


子供の頃に叶わなかった時間も、うまく伝えられなかった言葉も、今なら……


と。


焦っても何も得られないことは知っているのに、介助者としての自分に自信が持てずにいます。


わたしが不安を持つことで父が幸せになるなんてことありませんのにね。


自分に自信を持つことは自分自身でしなければなりません。


自尊心を満たすためだけに家族や仲間を利用することはしたくありませんから。


責任を持って行動すること、責任があるのだと自覚し続けること。


まずは、そこからですね。

理想よりも。

父の安全を守ること、父が生きていることを認めること、父が生きていくことを否定しないこと、それが私が父にできることなのだと思う。


生きていてほしいということをただ伝え続けることしかできないし、生きていてほしいと願うのはわたしのわがままでしかない。


わたしのわがままを父に押し付けている限り、父を支配していることには変わりはない。


押し付け、支配するのならば、わたしはその責任を持ち続けなければいけない。


側にいること、認め続けること、守るために動き続けること。


それだけしかできないと理解しているのに。


側にいることはどうしてこんなにも難しいのか。

伝え続けることがどうしてこんなにも難しいのか。

どうして思うように体が動かないのか。


できないこと、理想通りにいかないことばかり。


でも、理想ばかり見ていてはだめね。


父のこと、今の気持ちを見つめないと。

無関心にならない。

父が父の親友と会うことを受け入れるのも、拒むのも私が管理していることに変わりはない。


父を気にするのは私のわがままでしかない。


支配を拒むのであれば、責任から逃げるのであれば、人に押し付けて、関わることを避けてしまえばいい。


けれども私はそれを選択できない。

選択したいと思えないのだ。


だから、責任を持たなければいけない。


寄り添うこと、伝えること、安心させること、安全を確保すること。

それらを守るために考えて行動する。私の責任だ。

父を個人として

父には学生の頃からの親友がいる。


昨日もそのうちの一人が、私の留守の時間に遊びにきてくれたらしい。


イカとメロンを買ってきてくれたと喜んでいた。


父が親友とあったり親戚の子供たちと会ったりと父らしく生きることをわたしが支えられることはしあわせだなと思う。

支配

管理をすることは避けられないのだと思う。


管理をすることは、そして、私の人生を優先させることは、支配につながるのだとも思う。


私は私の人生を優先することしかできない。


なぜなら、どれだけ父のことを私が思おうとも、私が行動する限り、私が選択することになるからだ。


私が選択する限り、どれだけ相手のことを思っていても私のしたいことからは抜け出せない。


私は私のしたいようにしか生きられない。


身勝手さからは抜け出せない。


私が身勝手に父を管理することは、支配でしかない。


支配を避けることはできないのだ。


だから、その責任を持たなければいけない。


私にできることは、責任をもつことでしかない。


父の人生に対して、私の身勝手な選択に対して、どう行動することが責任を持ったことになるのか。


側で生きることしか今はわからない。


安全を確保し続けること。


まずはそこから。

無責任な私

私のためだけの予定を入れることに罪悪感があります。


なんとかして、予定の隙間時間に面会をしなければ落ち着きません。


けれど、それでは何も予定が入れられなくなってきました。


私だけが自由に過ごし、私の気まぐれで父を依存させ、身勝手な理由で不安がらせ、支配する。


そうはなりたくないのです。


父が不安がっているのに会わないという選択をすることの怖さが苦しいです。


でも、終日の予定が連日入ることは当然起きる。


私は生き方を選択せねばならない。

自由は重たい

父には自分だけで自由に行動する権利が今、与えられていないのだ。


父は安全も栄養もきちんと管理された生活が保障されている。


美味しくて過不足ない食事をとり、清潔な環境で生活をしている彼は、幸福なのか。


安全の上に社会的な自由があるのだと私は考えているが、果たして彼にとってはそうなのか?


ただ、自由のために彼に責任を押し付けて、安全を奪うことはどうしても私にはできない。

会える時間の短さに

父とともに暮らせたら、父の側で暮らせたら、どれほど気持ちが楽だろうと考えてしまう。

側にいれば離れたくもなるだろうが、そばにいたい時にいれないことももどかしい。

不安がらせて、顔がみれただけで嬉しいと言わせ、何もできない。

何のために私は生きているのか?

父を支配して生きたいわけではないのに。

向きたい方向

父はよくやきもちを焼きます。


他の利用者と私が話をすると怒るのです。


私が不安にさせているからだと感じています。


父を支配し、自分の気持ちを満たすためだけに利用している自分が悔しくてずっと悩んでいました。


怒ったり暴言を吐いたりしてしまうのは、障害のせいであり、その状況を作った私たちのせいであり、周囲へ嫉妬をするほどに不安な気持ちにさせた私の責任であると思っています。


ただ、一人の人として、ひとりの大人として父を見る時、彼が周囲に当たったり暴言を吐いたりするという行為をしたことの責任がない筈がないのです。


彼を悪くない、可哀想というということは、本当に彼にとって幸せなのでしょうか?


ひとりの人として向き合うのであれば、私が彼の立場であるのならば、嬉しいだろうか?


私は父とどう向き合いたいのか?


未だに悩んでいます。

まずは自分を。

誰かの理想に合わせるも合わせないも自由ですのよね。


思い込みを押し付けてくる人は尽きないけれど、気にしたところで何も変わらない。


他人を気にしたくないなら、気にしなければいい。


私は私として父と向き合う。


当たり前のことですけれど、見失わないようにしたいです。