支援者としての責任が持てない。
父は、あれこれ欲しいものやしたいことをいう。
自分でできることをきちんと理解できないまま、できないことを受け止められないまま、できそうなことやしたいことを必死に考えて、提案する。
でも、そこには無理が多すぎて、ひとつひとつ否定する必要ができてくる。
あのときはこうなったねとそんな話をしながら、本人が納得できるまで、挑戦させたり、想像させたりしながら話す。
あくまでもこちらがさせている形にしかならない。
私が支配していることに変わりはない。
支配しないことには安全な行動を理解できないから、サポートする。
でも、結局は支配なのだ。
価値観は父と私では違うところが多い。
当事者と支援者という立場の違いも大きく出る。
当然、支援の仕方も支援者ごとに変わる。
価値観も支援者の数だけある。
噛み合わないまま押し付け合う現状に苦しくなる。
本人は安心したいのだろうと思う。
家族がいることを確認したいのだと思う。
自分が見捨てられたのではないことを、家族が消えてしまっていないことを、確認したいのだと思う。
当たり前の生活を取り戻す術があるのだと足掻いているようにも見える。
自分の人生を思うように生きたいという気持ちと、
思うように生きてきた結果が今なのだという気持ちが、
父自身を苦しめているようにも見える。
そんな父を受け止めきれない私がいる。