無責任な自分を認める
私が決めた。
それをきちんと伝えなければいけない。
父に生きてもらうのも、今の形で暮らすことも、今出かけないことも。
何から何まで全部。
決断したのは私だって、私自身が認めなきゃいけない。
どれだけ無茶なわがままを言われても、どれだけ叶えようのない理想を言われても、それを聞いて、判断して、決めているのはいつも私なのだから。
できないことも、わがままも結局は、父とともに私がそれをするのが無理だと判断して結論付けたから、できないことやわがままになっているだけで、私の価値観でしかないのだ。
父の安全のため、父の生活のため、それは所詮私の価値観でしかない。
他人の人生を管理している責任なんて、本当にもてるのか?
他人の人生を生きられない以上、無理だろう?