日々の

愚痴と悩み

ありたい姿

面会ができなくなって随分と経つ。
介護とは何か、考えさせられる。
家族介護とはどうあるべきなのだろうか?
私は何をしたいと思うのか?
わからなくなる。
私にとって介護とは何か?
介助者として接するとは何か?
力を引き出し、主体的に動かさせることとはどういうことなのか?
人として接するとは何か?
私は何がしたいのか?

法的責任について

父が施設職員にたいして暴言や暴行をはたらいてしまうことが続いている。
此れまでも施設の備品や他の利用者のものを盗んだり、他の利用者への暴力や暴言もあった。

父には、暴力や暴言が許されないこと、別の感情表現や自分の感情を客観的にとらえる方法、病気の特性の説明を、口頭やメール、作成した冊子などを利用し、職員にも依頼した上で繰り返し行ってきた。
また、可能な範囲で日常的にコミュニケーションをとり対話での解決を促したり周囲との繋がりを感じさせるように勤めたりしている。

なるべく失敗経験や否定的な指導は避けて、自尊感情を傷つけないように意識もしている。

ただ、どうしてもこちらの思うように指導·支配したいと思ってしまうからか、まだ、病気への理解が至らない時期だからか、父の性格的·習慣的なものなのか、問題行動が続いている。

社会的行動障害は高次脳機能障害の影響は大きいが、元々の発達障害や育成環境で身に付いた癖や倫理観·価値観も影響していると私個人は考えている。

私個人としては、法的なトラブルを起こす前に、父には判断能力がないことを証明し、可能ならば社会的な責任について後見人に補助を依頼したいと考えている。

ただ、現状親族がおり、施設にも入所している状態で、精神疾患の診断はなにもないままなので、私だけの意見を押し通すわけには行かず、
親族や施設スタッフ、地域の窓口などの意見を集めながら、父のより豊かで安全な生活を探し出していくことになると考えている。
感染症の状況なども踏まえて、作業を進めねばならず、なかなか歯がゆさもある。

より大きな事件や事故になる前に対処してしまいたいという、私の勝手な感情ではなかなかすすめられないのだ。

そもそもとして、父が発症前に結んでいた契約のいくつもがまだ不明な内容であり、整理できていないので、
父の生活を安定化させるためにも、着実に、整理していくことが大切だとは考えている。