日々の

愚痴と悩み

ほしい時間

私は父に対して介護をしようとしすぎているのかもしれない。


親子としての時間を作るところから始める必要があるのかもしれない。


いや、親子としての時間を私は持ちたい。


ただ、介護をするだけ、支援をするだけ、管理をするだけの時間を持ちたいわけではない。


人として、家族として、親子として、関われる時間を持ちたいだけなのだ。

価値観

介護の方針について、意見が合わないことが多い。
意見を交えられたらと思うが、そのような時間はなく。
その時間を持ちたいと思うのはあくまでも私個人のわがままでしかないから仕方がないが、
お互いの意見や価値観を伝え合えないことは少しもどかしい。

親戚らの価値観を否定したいわけではない。

そして、親戚らにとって、私が親戚だから、価値観に合わない行動取られるのは苦痛なんだろうなと思う。

私の理想が、彼らにとって不快なのだというのは、個人の感覚であり、好き嫌いや快不快は個人の感情なのだから尊重したいとも思う。

もちろん、それにすべて従いたいというわけでも、ただの駒や物のように扱われたいというわけでもない。

ただ、無意味に否定したいわけではないということ。

お互いに関わり続けなければいけない立場の相手の気持ちを無視したくないということなのだ。


父の今後について。

父を介護している私の生き方を含めた、介護のあり方について。

父に対する親戚らの関わり方について。


理想を押し付け合っているだけの現状を改善したい。